TOYOTA CELICA 1600 ST<br>(サーフブルー)
carjourneyFlag-Japan

TOYOTA CELICA 1600 ST
(サーフブルー)

1970's

●1972年購入

●1974年1月売却

 

ファミリア レシプロクーペから周りの寮生に触発され買ってしまった人生2台目の車です。この頃は国道2号線が自分の道のように勘違いして無茶苦茶な運転をしていた頃でもあります。 実は欲しい競合車としては、オレンジ色でボディサイドに黒のラインが入った三菱ギャランGTOの「ヒップアップクーペ」と言うキャッチフレーズに魅かれその車が欲しかったのですが、それとほぼ同時期に発売されたトヨタセリカのスタイルが圧倒的にカッコよく見えて結局ダルマセリカ STを選択しました。 やはりGTは買えず、STにしました。 そのセリカはサーフブルーが鮮やかで、流れるようなラインが今までにない流麗なスタイルでどれだけカッコいいと思った事か・・・寝ても覚めてもでした。 この頃セリカと言うと「フルチョイス」と言う言葉が流行りました。 丁度その頃(1970年代初期)フェンダーミラーからドアミラーにと解禁になった頃です。みんな待ってましたとこぞって取り換えてました。外車は既にドアミラーでしたから。それに付随してPARTSもたくさん売られていた思い出が有りますが、それでも今のようなオートバックス的なショップは皆無で、個人店のような店ばかりだった気がします。 あの頃はアルミホイールも高価だったし買う事もままならない頃で、当時流行っていたのが鉄チンホイールを継ぎ足しワイドにして、精々155くらいのタイヤを無理やり履かせ、メッキリングを付けて走る事がステータスで、私も例にもれずその仕様に仕上げました。 給料の大半をつぎ込んでいた気がします。 ワイドホイールを付けて道の悪いわだちを通るとハンドルが取られたりするのを楽しんでいました。 セリカを購入したのは良かったのですが通勤で使用した際、当時社員(東洋工業の子会社=蔵田金属)であった東洋工業(現マツダ)の駐車場には入れて貰えませんでした。 その頃、ひとつ年上の彼女が居て、宇品港公園や黄金山、比治山などデートで走った楽しい思い出が沢山蘇ってきます。 この頃は、日本車が最も元気が良い時代で周りには個性的な車が沢山存在しました。寮生も競うように日産スカイラインGTRやマツダサバンナGRⅡ、三菱GTO&FTO、トヨタカリーナ、ホンダN360など乗りまわし寮内の駐車場は凄い事になっていました。その頃は殆どの人が車に興味を持っていて車社会には良き時代でした。   国道2号線を思い出すと、マツダ製の車両が当然多かったですが、トヨタも負けていなかった気がします。