●1971年購入
●1972年売却
宮崎県日南市と言う土地から日南工業高校機械科を卒業して広島県海田町と言う土地で東洋工業(現マツダ)の下請け会社の寮で生活(親和寮)をしていました。
周りの先輩たちが一生懸命仕事をして憧れの車を手に入れるのを目にして、自分もいつかは欲しいと思い、その願いが叶い若干20歳の時初めて自分の為に自分の力で買った車です。
当時大人気だったよしだたくろうもファミリア・ロータリー・クーペに乗っていたと言う事で、拍車を掛けてこのデザインに憧れてしまいます。
購入した経緯は寮の同じ部屋の先輩に紹介された海田町から当時2号線のバイパスで船越と言うところにあった中古車販売店でした。ボディが赤に黒のレザートップで当時流行っていた仕様のクーペモデル。寮生活でひとりになる事が出来ずストレスを感じていた頃にやっと自分だけの空間が持てた喜びをダブルで感じた車でもありました。
本当はT型の運転席周りのロータリークーペやプレスト1300クーペが欲しかったのですが、当時の給料では手が出せず、普通のダッシュボードのレシプロエンジンを選ぶしかありませんでした。
何度も言うようですが、今では当たり前ですがダッシュボード&コンソールが実にカッコよく斬新でした。おそらくT型コンソールはロータリークーペが初めての試みだった気がします。
寮生は、2ドアのGTRやギャランGTO、サバンナGSなど70年代の魅力ある車両に乗っている仲間が沢山いました。
購入したクーぺは追突事故車だったらしく時間が経過するに連れトランクの色が白く変色したのを未だに覚えています。この車で一番の思い出は、どうしてそうなったかは忘れましたが当時の広島駅前のロータリーを逆走して、タクシー運転手に怒鳴られたのを鮮明に覚えています。今考えてもこわい事をしたと反省しています。
この車で先輩2人と屋久島に行くのに鹿児島まで行っています。どのように走行したかははっきりは思い出せませんが・・・
島根や錦帯橋、秋吉台、津和野辺り、いわゆる当時アンノン族と言われる人たちに人気があった中国地方は全て網羅した気がします。時間もあり、お金をそこそこあり週末には必ず愛車で出かけていました。
懐かしい沢山思い出が蘇って来ます。
※当時乗っていた唯一の画像が鹿児島の先輩から届きました。
20歳の時先輩3人で屋久島に行った時のファミリアクーペの後ろ姿です。